2020年03月31日

ドーナツとドーナツの穴 第104回『どこまでを自分として見ているのか?』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第104回は『どこまでを自分として見ているのか?』


 去年、「俺か、俺以外か。」という言葉が流行った。この言葉を聞くと、

『俺か、俺以外か。のどこまでが俺なのか?』

と思うのである。

……

自分自身だけを自分と認識しているのか?
自分と家族だけを自分と認識しているのか?
自分と近しい人だけを自分と認識しているのか?
自分の会社や所属する組織を自分と認識しているのか?
自分の生きる地域を自分として認識しているのか?
自分の国を自分として認識しているのか?
全世界を自分として認識しているのか?
人間という種以外も自分として認識しているのか?
等々……

 もちろん、状況によって「自分の範疇」は変化する。変化すること自体は普通で当たり前だ。ただし、

『自己の範疇の変化が少ない安定した人』

ほど、関係を取りやすく、かつ

『自己の範疇が大きい人ほど信頼される』

傾向にある。常に自分自身だけを自分と思っている人は、「器」は小さいが安定はしている。利己的だと思って関わればいいので関係はとりやすい。「器」が大きい人は器の大きさが安定して大きく変化が少ないから、「器」が大きいのである。立場や状況によってころころ「器」の大きさが変わる人を、「器」が大きいとは誰も思わない。


・どこまでを自分の範疇と考えているのか?
・その範疇=器がどれくらい安定しているのか?


ただ単に、自分の範疇が大きければ良い…、とは必ずしもならないのが難しい。範疇が大きいというのは、裏を返せば、他人に対するこだわり、執着が強くもなったりするわけである。人に限らずモノに対することでも同じ。

繰り返すが、「器」が安定しているというのは、間違いなく人から見れば「関り易い人」。「器」の大きさもさることながら、実は「安定」しているかが結構大事だったりするのである。


「ドーナツ」= 『俺か、俺以外か。』

「ドーナツの穴」=『どこまでが俺なのか?が気になる…』 



今日はここまで。文責 江口
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posted by 江口 匡成 at 10:41| Comment(1) | ドーナツとドーナツの穴