2019年11月05日

ドーナツとドーナツの穴 第13回 『いじめ』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 ドーナツとドーナツの穴 第13回 『いじめ』


 神戸で、教師が教師をいじめていたということが発覚した。動画や画像がTVで放映されてショックを受けた人も多いと思う。僕自身は

「大人のいじめ」

をあれだけあからさまに見たのは、相当久しぶりなのでそちらの方が衝撃だった。しかも、あれくらいわかりやすい「いじめ」はおそらく子供もあまりやらない(と思う)。


 子供にすれば、「いじめはやってはいけない」としている大人、しかも先生がいじめをやっているのだから、自分たちも「いじめてもいい」と思うはずだ…、というのは大人の早合点である。


 いじめが悪い事なんて、ある程度成長すれば、ほとんどの子はわかっている。そこが問題ではない。わかっていても無くならないもの。それが「いじめ」だという認識がないのが問題なのだ。

……


 「いじめ未遂」という言葉はない。いじめる方はともかく、やられる方にとって、いじめは「全か無か」だ。SNSの発達で軽いコミュニケーションができるようになっているが、

『軽いコミュニケーションから生まれるいじめであっても、決して軽くはない』

ということ。コミュニケーションの質といじめのそれとはまったく異質なものなのだ。


 「いじめ」は無くならない。もちろん、いじめは無くす努力もなくしてはいけない。
「いじめ」対策に必要なのは、いじめによって、

「最悪のところまで追い込まないようにする」

仕組みや教育だと思う。最悪とは、自殺はもちろん、回復不可能なところまで個人を追い込んでしまうようなこと。そういう意味では、神戸の教師の件は「行き着くところまでいってしまっている」。それが問題なのだろう。


「ドーナツ」=「ライトなコミュニケーションから生まれるライトないじめがあるという勘違い」

「ドーナツの穴」=「いじめは、全か無かである。いじめ未遂という言葉は存在しない」


今日はここまで。文責 江口
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posted by 江口 匡成 at 08:28| Comment(1) | ドーナツとドーナツの穴