2019年12月20日

ドーナツとドーナツの穴 第57回 『透明人間には周囲がどう見えているのか?』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第57回は『透明人間には周囲がどう見えているのか?』

 透明人間は透明なんで周囲から見えない。ということは、

『光がすべて透過していること』

を意味している。ガラスが見えるのは完全には光が透過していないからだ。


 さて、すべての光が透過する透明人間は、周囲がどう見えているのだろうか?
※空想科学読本には確か書いてあったと思う。柳田理科雄さんの本だ。賛否はあるだろうが、読んでみるとちょっと面白いかもしれない。どうしても知りたい人は、「人体に詳しい」専門家に聞いてみるといいかも知れない。というか、「目が見える仕組み」とでも検索すればわかると思う…。

 透明人間からは周囲も透明に見えている可能性が高い。視神経に刺激が伝わらないからだ。

『透明人間の世界は透明である』

ということである。もし、うすぼんやりとでも周囲が見えているならば、透明人間もうすぼんやりと見えているはず。それはもはや透明人間ではない。半透明?人間だ。柳田理科雄さんの本では、眼球だけうっすらういているようなイラストがあったような気がするが定かではない。
※back numberの楽曲に「半透明人間」という曲があったが、それとは一切関係ない。


 透明人間でいえば、透明人間が食べたものは見えるのか?とか食べたものが消化された「うんこ」はどう見えるのか?…とか考えだすと透明人間は大変だと思う。外出する時には基本全裸で、人間ドックの前日のような日々を繰り返しているのかと想像すると、不透明人間で本当に良かったと思う。
※これはややラーメンズ的な表現か

……

透明人間の世界は透明である。これはちょっと大袈裟かもしれないが、仏教哲学的な認識論に通じるものがある。

『すべてを知っているということは、すべてを知らないことに近くなる』
『すべてのものに価値があると思うということは、すべてのものが無価値であると思うことに近くなる』
『すべてのものが見えるということは、何も見えていない状態に近くなる』


悟っているように自分で思えば思う程、悟りから遠くなる。そんな感じだろうか……。
……

 生物は全て不透明である。それはクラゲであってもそうだ。「見える」ということは不透明である証拠。『見える』とは刺激を受け止める機能があってこそなのである。ただしそれは、『見えないもの』『知らないもの』が必ずあることを同時に意味している。

『受け止めた刺激しか、認識できない』

裏返せば、

『スルーしてしまっている刺激がある』

ということだ。

『認識できないものがあるから、認識できるものがある』

大胆に、そして謙虚に「世界」と関りたいと思う、不透明な自分…。

 

「ドーナツ」= 『透明人間』

「ドーナツの穴」= 透明人間の世界は、自分も含めすべて透明(である可能性が高い)。




今日はここまで。文責 江口
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posted by 江口 匡成 at 10:26| Comment(1) | ドーナツとドーナツの穴