2020年05月19日

作るか埋めるか(再放送の増えたTVに思う)

 TV番組を見ていて、再放送が増えたとつくづく感じる。再放送でないドラマの話題がネットニュースになるくらいに再放送が増えている。というか、ほとんど再放送である…、といっても言い過ぎではない状況だ。


 当然、撮影もコロナ前より少人数になっている。キャストそのものがカメラを設置し、道具を準備できれば、その撮影そのものはほぼ一人のものも増えていると思う。それは、

『道具立てが整えば人が少なくてすむこと』

を示している…。


 そもそも、再放送である程度成り立つというか、再放送でもリメイクでも何でも、

「時間を埋める」

必要があるのがTV番組の宿命である。
番組を作れなくなったから、

「この時間は放送しません」

とは出来ないのだ。
本当は、TVだけでなく放送全般がその宿命を抱えている…。

「作れなくても埋める必要がある」

ということだ…。※コロナ前でも、「ネット動画」を流してコメントを言い合う、ネット動画の再放送的な番組が増えていた。

……


 コロナだから集まって仕事するのが難しい。それはある。だが根本的に、

『集まらなくても成り立つことがある』

ということにコロナで気づいたといえる。仕事のある場面において(本当は人生のある場面において)

『集まることの価値の有無に、コロナによって人は気づいた』

のだ。


 コロナ後に集まらなくてもいい仕事に、集まることが戻るだろうか?

・「集まり方」の変化が起きた
・「集まること」自体の選択に変化が起きた
・「集まらない」で何とかできないかが第一選択になることが増えた

等々……


 コロナ下では、人が集まって仕事することが難しい。コロナ後にコロナ前のように人を集めるのは難しい。集まることの価値のなくなったものに人を集めるのは難しい。


 続けたいのか?、止まれないのか…?
作りたいのか?、埋めないといけないのか…?


今日はここまで。文責 江口
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posted by 江口 匡成 at 07:52| Comment(1) | 無題