『不完全終活マニュアル』 その17
『大切な人の死に目に会えないことが増えていく』
遠距離介護の例を出すまでもなく、親と子は世帯を別にしているのが一般的になっている。それだけでも親の死に目には会えない場合が少なくない。
『現役である期間を延ばそう』とか、『健康寿命を延ばそう』という話もある。それ自体は間違いなく良い事である。ただし、それだけ社会との関係性が濃い期間が延びることを意味する。
それはつまり、社会においてよりきちんとした役割があるということである。役割があるということは立ち位置があるということ。責任があるということ。だから互いにおいそれとは動けない。だから死に目にも会いにくくなる。
寿命が延びて、現役である期間が延びるなら、おいそれと動けない期間も延びるという自覚はどこかに必要だ。
親の世代も高齢化。この世代も高齢化。それぞれの責任、役割、立ち位置にいる期間も高齢化。すべてが長期化する傾向になる。当然物理的な距離も離れたり、離れて過ごす期間も長期化する。
コロナが収束すれば、人の往来は再び活発になるだろう。
「自由に動ける時代が進めば進むほど、いざというときの直前まで仕事や役割を果たせる」
「だから普段の距離なんて関係ない」
……なんて思うこともある。
が、いざというときは突然訪れたりする…。同居していても間に合わないこともあるのだ…。
運よく?大切な人の死に目に会えることもあるだろう。
とはいえ、大切な人の死に目に会えないことが増えていく…。死に目に会えるのは奇跡に近づくかも知れない。
リアルに会える時間の意味はより強くなっている。生きている間の準備の必要性も増している。
今日はここまで。文責 江口
