いずれ水際は、水際が水辺になっても大丈夫になる。放っておいても、いずれは水際から水辺に移行するだろう。多くの場合、最終的な対策の目標も水際が水辺になっても大丈夫となることだ。だから経過とともに、
まぜない(まざらない)→まぜてもいい(まざってもいい)
という方向が水際対策の流れになる。
※経済面も含めれば、さらに「積極的にまぜる(まざる)」というところまでいくのだろうが。
よくよく考えれば、自然界で完全にまざるというのも難しいが、完全に分離するというのも相当珍しい現象。
混ぜるのも、分けるのも、自然に起こりうるが、「完全に」がつくととたんに不自然になる。
出来る限り自然にもどす…、というのは自然だが、「完全に」自然に戻すというのは不自然。
努力しないと自然は自然に戻らないが、努力し続けないと保てない自然は不自然。
そこここに水際(水辺)があって、そこそこの感染と症状で収まる…。これが理想。理想だが自然ではない。自然が自然と自然に戻れる範囲で不自然に生きる…。人生サイズで見ればこれが理想か。
だがあくまでも、人生サイズの話。自然サイズでみれば、いつでも自然は自然。
さて、水際は濡れているのか?濡れていないのか?
今日はここまで。文責 江口

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