2020年01月28日

ドーナツとドーナツの穴 第81回『運』論その4 まとめ

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第81回は『運』論その4 まとめ


 自分のことを「運が良い」と思うことは、自分のことを「幸せだと思う」ことに近い。運について考えることは、幸せについて考えることに似ている。……、こう書くと急に宗教的になって毛嫌いする人もいるかもしれない。だが結構重要なことなんで書こうと思う。


 『自分の現在の立場、肩書等、手に入れたもので運を判断すると運を失う』

これを幸せで言い替えれば、

『自分の現在の立場、肩書等、手に入れたもので幸せを判断すると不幸になる』

ということである……。


 実は、運や幸福、もっと言えば、人生そのものにはかならず「偶然」が介在する。いわゆるハプニングだ。これはどうしようもないことだ。どんなに善人でも、努力をしていても、「アクシデント」は突然起こるし、逆に、どんなに悪人でも、人生を怠惰に生きていても、「ラッキー」は訪れたりする……。

言ってしまえば、今の立ち位置は本人の努力とともに、何ならそれ以上の「偶然」がもたらしたものなのだ。アンラッキーな状況も、同様に本人の立ち振る舞い以上に「偶然」がもたらしたものなのだ…。


 「ラッキー」を「運が良い」とするのは勘違いだ。運とは、立ち位置、肩書等、手に入れたものではなく、

『今、どこに向かっているか』

が問われるものなのだ。運は位置を示すものではなく、ベクトルを示している。宗派に関係なく、数多の宗教の「幸せの定義」も同様で、現状が幸せかどうかではなく、

『幸せな方向に、向かっている、向かおうとしている』

ことを幸せと「再定義」することで、信者を文字通り「幸せ」にしていると個人的には思う。


 『運が良いとは、人生のベクトルの向きが良い』

ということ。現状や、たまたま起きたハプニングで「手に入ったもの」の多寡を指しているものではない。運の正体とはそういうものなんだと思う。

宝くじに当たって不幸になる人があるのは、手に入ったものに注目してしまうからなのかも知れない…。手に入ったものではなく、「向いている、向かっている方向」が重要だ。多分……。



「ドーナツ」= 『運が良い』

「ドーナツの穴」= 『運が良いとは、人生のベクトルの向きが良いということ。手に入ったもので測ると運を失う』



今日はここまで。文責 江口
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posted by 江口 匡成 at 08:05| Comment(1) | ドーナツとドーナツの穴
この記事へのコメント
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Posted by 本人です。カウント用 at 2020年01月28日 08:18
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