2020年02月25日

ドーナツとドーナツの穴 第94回『っぽい・っぽさ・らしさ』その3

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第94回は『っぽい・っぽさ・らしさ』その3


 『僕らは、「っぽい」から卒業して、次の「っぽい」になっていく…』

子供に向かって、「子供っぽい」とは言わない。大人に向かっても「大人っぽい」とは言わない。そうでないものに対して、それらしくないこと、それらしくないものであることに対し「っぽい」を使う…。

「っぽい」を使われる側は、より境界に近い存在である。子供と大人で言えば、

子供寄りの大人
大人寄りの子供


に対して「っぽい」は使われる。年齢的に大人であっても、境界を越えてしまった大人は、もはや子供である。「っぽい」は使われない。


 「っぽい」という表現は、まだなれない、あるいは、もう戻れないものに対する憧憬やノスタルジーの感情も含んでいる。そう、「っぽい」には、

・自発的になりたいと思うもの
・自分の意思と関係なく、時間の経過とともにならざるをえないもの


に対する思いがある。子供のころ、早く大人になりたいと思った人は少なくないはずだ。逆に、こどものころはよかったと思う大人も少なくないはずだ。大人になっても、大人と子供の境界周辺は覚えている。子供の頃は、成長とともに大人と子供の境界周辺が見えてきたはずだ…。


 自発的に次の「っぽい」を求めている人は若々しく、時間の経過とともに次の「っぽい」に移行させられる人は老けていく…。そんな印象がある。生物は基本的には必ず老ける。それは望む望まないにかかわらず、生老病死の中で時間は無常に過ぎていくだけだからだ。

子供が早く大人になりたいと思うときは、時間の流れと意思が同じだから、子供が老け込むことはない。大人が若いままでいようとするとき、時間の流れと意思が逆だから、何か、ある種の痛々しさが伴う。子供なのに大人になりたくないと思うとき、これまた時間の流れと意思が逆だから、不都合が生じやすい…。


 時間の流れを受け入れながら、次の「っぽい」を求めていく…。自発的であることが「若さ」や「元気」を保つことの第一歩だと思う。環境を整えたところで、それらに対し受動的であるならば、人は時間経過以上に早く「老いて」いく…。


 「っぽい」とは境界にいる人に対し使われる。人によっては「っぽい」と誰かに言われるとき、それは何かへの「移行期」なのかもしれない…。移行するとき、自分の意思で、

・次の「っぽい」を目指しているのか

自分の意思と関係なく、時間経過で

・次の「っぽい」にならざるを得ないのか

それが大きな違いになる。





「ドーナツ」= 『子供っぽい』

「ドーナツの穴」= 『子供に子供っぽいとは言わない。だってまだ子供なのだから…。』
by今野 浩喜


今日はここまで。文責 江口
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posted by 江口 匡成 at 08:30| Comment(1) | ドーナツとドーナツの穴
この記事へのコメント
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Posted by 本人です。カウント用 at 2020年02月25日 10:35
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