2020年04月14日

ドーナツとドーナツの穴 第111回『「無題」という題』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第111回は『「無題」という題』


 絵画にも「無題」という題の絵がある。音楽も同様だ…。おそらく外の芸術作品にもあるはず。なぜ「題」が必要なのか?それは何かを伝えるために必要だからだ。あるいは、絵や音楽といった作品そのものを認識して、理解し、伝えてもらうために必要なのだ。


 伝わったり、理解し合えるならば、「題」はいらない。そのものを見せて終わりだからだ。長く生活している家族が、お互いの名前を呼ばず、「醤油」といっただけで誰かが誰かに自動的に醤油を取ってあげる。そこに名前や「題」、ましてや説明など存在しない…。そういうことである。


 無題は「無題」とは限らない。題を決める主体を選べる状態に残していたり、あるいは、

「『無題』という題だとエッジが効くかも」

といったマーケティング的な発想もあり得る。


 「題」が目的ではなく、「題」によって何かを伝えることが目的なのだ。逆に言えば、

『目的が達成できるなら、題は必須ではない』

ということである。


 コミュニケーションで、「題」を意識しなくくて済む関係は、相当密接な関係だ。
密接な関係が終わる時、再び人は「題」を必要とする。また、密接でないならば、人は「題」を求める…。


 政治家と国民には、「題」は永遠に必要である。理解する、理解してもらう努力が必要なのだ…。なんて大げさな話をしなくても、コミュニケーションとはお互いの努力である。

『題を必要としない関係は、気づけばコミュニケーションを必要としない、お互いを必要としない関係になっている』

かも知れないのだ。『親しき中にも礼儀あり』、それはお互いを必要としている、お互いの意思表示ともいえるのである。





 
「ドーナツ」= 『「無題」という題」

「ドーナツの穴」=『題を必要としない関係は、気づけばコミュニケーションを必要としない、お互いを必要としない関係になっている(かも)』



今日はここまで。文責 江口
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posted by 江口 匡成 at 08:53| Comment(1) | ドーナツとドーナツの穴
この記事へのコメント
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Posted by 本人です。カウント用 at 2020年04月14日 09:12
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