2020年05月28日

「人の命」と「知る権利」

 京アニの放火殺人事件の被疑者が逮捕されたというニュースがある。37人の人が亡くなった事件だ。

「知る権利」があるからニュースになるし、ニュースにする必要がある。
ニュースにすることで、「ニュースになる」と思う人もいる。
「ニュースにしたい」「ニュースになりたい」と、事件を起こしてしまう場合もある。


時と場合によっては、「知る権利」を放棄することで守れる命もあるかもしれない…とも思う。


 殺人事件とは違うが、「自殺者」の情報を感染症対策と同じようにしてコントロールしている国もあると聞く。※稲垣吾郎さん司会のテレビでやっていたくらい有名な話だ。かなり昔の話である。詳細は省くが、日本とかなり友好的な国の話…。


 熱帯雨林の草食動物が捕食されている仲間を遠巻きに眺めている動画を見かける。どうやら「仲間の失敗」からどうすれば捕食されないかを学ぶために見ているらしい。それは本能にプログラミングされた行動だということだ。

その本能の名残が人間にも残っている。

近所の火事の現場を見に行く心境
救急車の音に思わず反応して「どこに行くんやろ?」とみてしまうこと
高速道路の反対車線で起きた事故のせいで渋滞が起こる


…といったこともそれが大きな要因の一つである。

『野次馬根性は本能にプログラミングされた行動である』

少なくとも「知る権利」は本能に根差している。考え抜いた末に出来た…、という要素だけではないのだ。
知る権利が優先されて命が軽んじられる状況だけは……、と思う。



今日はここまで。文責 江口
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posted by 江口 匡成 at 08:24| Comment(1) | 無題
この記事へのコメント
A3
Posted by 本人です。カウント用 at 2020年05月28日 08:35
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