2020年06月04日

ドーナツとドーナツの穴 第128回『遠い近いが曖昧な世界』

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第128回は『遠い近いが曖昧な世界』


 ネットが発達して、見ず知らずの人に簡単に傷つけられたりする社会である。でも、そのおかげで

『見ず知らずの人から救われる社会』

にもなっている。世の中捨てたもんじゃないと思うことも結構多い。


 他方、コロナ下で人は強制的に物理的距離をとる必要がある。

よく知った人との一定の距離感を求められる社会
すれ違うだけの人との距離を気にする社会…

※個人的には、隣県のイオンにいくことも憚られる社会は早く改善して欲しいと思う。


 遠い近いが曖昧な世界になったわけではない。遠い近いが曖昧な世界だったことが際立ってきただけなのだ。ただし、物理的距離は厳然とそこに存在する。ネットで繋がるといっても現実は違う。

『繋がりやすさが、便利さが、リアルを誤解させる』

という側面もある。


 リアルはネットに比べ面倒で地味である。その面倒、地味さを誰かが引き受けてくれているから、繋がりやすさ、便利さは成り立っている。

一方、ネットで繋がった先にあるもの。それもある種の「面倒、地味さ」である。リアルから離れて、距離(感)が曖昧な世界の中で、リアルの面倒、地味さと同じものに出会う。

距離を簡単に超えられるようになった情報(意思)が、距離に縛られた現実(肉体)とのギャップを知り、さらに距離を超えた先にあったもの、望んだことが、実は現実と同じものだったということを知ったのだ。


 ネットならではの怖さは、拡声機能と消えない、消せない記録機能だ。ただし、そこが本質なのではない。今、ネット上の「閉じた世界」(オンサインサロンなど)が花盛りである。そこではネットにリアル(感)を求めている。だがそれは、リアルでの「社会≒関係性」に戻っただけである。距離の関係ないネットの世界で、距離を意識した関係を構築する…。遠い近いが曖昧な世界は今日も続く……。


「ドーナツ」= 『遠い近いが曖昧な世界』

「ドーナツの穴」=『遠い近いが曖昧な世界は今日も続く……』



今日はここまで。文責 江口
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posted by 江口 匡成 at 08:54| Comment(1) | ドーナツとドーナツの穴
この記事へのコメント
A8
Posted by 本人です。カウント用 at 2020年06月05日 07:26
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