2020年11月04日

ドーナツとドーナツの穴 第191回『合理的な人の集団であったとしても集団として合理的になりにくい理由を考える』その3

『ドーナツ』≒意識しているもの、表、機会、建前、見えているもの、認識しているもの…。

『ドーナツの穴』≒意識していないもの、裏、機会損失、ホンネ、見えていないもの、認識していないもの…。

そんな意味合いで捉えてもらえればと思います。実際書きたいことを書いているので、テーマ通りには毎回いかないですが、そこはご容赦を…。


 第191回は『合理的な人の集団であったとしても集団として合理的になりにくい理由を考える』その3

合理的な人が集まった集団なら、合理的な集団になりそうである。だが実際には、そう簡単には合理的な集団にはならない。その理由を考える。今回はその3回目……。


 「誰にとっての合理性なのか?」という問題もある。集団の構成員の合理性を追求するなら、集団と合理性の間に矛盾は生じにくい。ところがそうじゃない集団がけっこうあったりする。合理性の主体と集団の構成員の「ずれ」がポイントである。


 あえて少し「合理的」「合理性」という言葉にして曖昧にしているが、「利益」や「効率」といった言葉をプラスして考えるとより鮮明に見えてくる。

ある集団の合理性の基準が、誰の利益に基づいているか?
ある集団の合理性の基準が、誰の効率性を求めるものになっているか?


みたいなことである。集団の構成員の利益や効率を合理的に追及するならば、その集団は合理的にどんどんなる。ところが、別の合理性の主体の利益や効率を追求すると、その集団は構成員にとっては合理的ではない場合が出てくる。

だからその場合、集団の構成員の視点から見れば、合理的な集団とは映らない。さらに構成員が合理性を感じられない状況なので、別の主体から見ても「理想状態」からは少しづつずれていく可能性が高くなる。合理性の主体から見れば、「合理的にふるまわない集団」に見えてくるわけである。


マイナンバーカードは住民にとって合理的か?それとも管理する行政にとって合理的か?という話で考えると少し見えてくるかもしれない。実際は非合理的な面も長期的見ればプラスになったり、その逆もあるので単純にはいかないが…。※長期的か短期的かで合理的かどうかが変化する…、という話もまたいずれ。


 とにかく、
・「誰」にとっての合理性なのか?=合理性の(を判断する)主体
・「誰の」「何の」集団なのか?=集団の構成員

とすると、

『合理性の主体と集団の構成員のずれ(違い)』が大きい集団ほど、集団として合理的になりにくくなる傾向にあるようだ。

 次回に続く…。


「ドーナツ」=『合理的な人の集団であったとしても集団として合理的になりにくい』

「ドーナツの穴」=『「合理性の主体と集団の構成員のずれ(違い)」が大きい集団ほど、集団として合理的になりにくくなる傾向にあるようだ』



今日はここまで。文責 江口
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posted by 江口 匡成 at 10:10| Comment(1) | ドーナツとドーナツの穴
この記事へのコメント
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Posted by 本人です。カウント用 at 2020年11月04日 10:26
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