2022年05月18日

マシマロと自制心

 オリジナルの『マシュマロ実験』の結論が微妙なことについてはここでは書かなくてもいいくらい書かれている。

そもそも15分後のマシマロ1個の為に、今目の前にある1個のマシマロを食べることを我慢することにどのくらいの自制心が必要なのだろう…

マシマロに興味や価値を感じない場合は…?
1個で十分満足できる状況や価値観の人だった場合は…?



 学生が金銭的理由等で、家族の為に「勉学しようとすること」に自制心が働くこともあるだろう。
とある分野で、どうしても諦めきれない何かに対する「自制心のなさ」がイノベーションを起こすこともあるだろう。



 自制心が、より大きな何か別の欲を満たす為のものならば、本当の意味で自制心と言えるのだろうか?
本来の自制とは、自制すること自体に「価値」や「幸せ」を感じることでもある。

自制≒節制 「足るを知る」に近いニュアンスか

何かを得るために、別の何かを我慢したり、犠牲にすることとは多分意味が違う。

自制≠犠牲 自制≠諦め


 何にしても、マシマロと自制心は関係ない。マシマロは関係ない…、自制心と関係ない、マシマロは関係ない…。



今日はここまで。文責 江口
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posted by 江口 匡成 at 11:16| Comment(1) | 無題
この記事へのコメント
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Posted by 本人です。カウント用 at 2022年05月18日 11:26
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