2022年08月04日

生々しい

 生々しいものばかりが並ぶと、生々しさが逓減する。
事件や災害映像などがそうである。
生々しいライブ映像なのに、生々しさが失われていく…。
半面久しく見ていなかったドキュメンタリー映像などを見ると生々しさを感じる。
※当然その映像はライブ映像ではない。



 そういえば、本当に直にその瞬間に生のものに触れているとき、生々しいとはあまり言わない。
生々しいと感じるのはことが起きた後、その瞬間以降である。
できたばかりの傷口を生々しく感じるのは、その傷口ができる原因が起きた後である。
もちろん、傷口ができる瞬間を見ることは少ない。それはケガをした本人であってもそうだ。



 生である瞬間に立ち会うことが少ないから、その瞬間に生々しさを感じる必要は少ない。
ただ、その瞬間に「何が起きたのか」「どうなるのか」を知って教訓や知恵にする必要はある。
だから、生の瞬間ではなく、その後の状況を見て、生々しさを感じるように人はプログラムされているのかもしれない。



 生け簀で泳ぐ魚には生だが生々しさは感じない。
捌かれた後の魚に生々しさは感じるもの。

「生々しい」はどこか他人事でないと感じない感覚。
主体的に物事にかかわっている限りは生は生のまま。
物事に対して客観的になったとき、「生々しさ」は現れる。
ケガをした瞬間は生々しさは感じないのに、できたばかりの傷口を生々しく感じるのは、そういうことか…。



 自分事と思っていることに対しては、「生々しい」とは多分言えない…。
自分事であっても、どこか常に「生々しさ」を感じる感覚…。それがプロには必要なのかも知れない。






今日はここまで。文責 江口
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タグ:生々しい
posted by 江口 匡成 at 10:02| Comment(1) | 無題
この記事へのコメント
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Posted by 本人です。カウント用 at 2022年08月04日 10:08
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