適材が本当に適材なら組織、集団として相当機能的であるはず。
適材が目立っているということは適所ではないのでは?
適材にとってその組織は本当に適所なのだろうか?
多くの適材は適所と言われる場所で、その力を持て余している…のかもしれない。
持て余すくらいの余裕がないと適材ではないのだろう。
適材適所は基本上から発言である。
というか全体を俯瞰できないと適材適所はわからないからだ。
当然、自分が扱うべき、考えるべき時間も短期ではなくより長期になり、時間幅も俯瞰する必要がある。
だから「適時を逃した適材適所」という発言は虚しくなる。
「適材適所」という発言をしている人は、適所にいるのだろうか…?
「適材適所」という発言をしている人が、適材適所かどうかは誰が判断するのだろう…?
今日はここまで。文責 江口

タグ:適材適所