底が知れる
底が深い
底知れない
……
これらは、どこ(何)の底の話をしているかが問題である。
互いの興味や比較対象している事が違えば、底の話など、ましてや底の浅い深いなど意味はない。
底が浅いのも、底が深いのも、ごく一部の立ち位置、方向や特性での話…。
全ての底が浅い人間などいないし、すべての底が深い人間もいない。
そこそこの底、どこそこの底、その底どこの底…。
それはともかく、『底が知れる』と安易に他人に言える人間の底はたかが知れていそうである。
その底は本当に底なのか?などと考えるから、底知れない人の底はどんどん深くなるのかもしれない。
底のことを考えて沼(底なし沼)に嵌る…。
きりがなさそうなので、『底』のことはそこそこに…。
今日はここまで。文責 江口

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