2020年11月26日

ムリ・ムダ・ムラ 第50回『切り札』

 切り札には価値がある。少なくとも「切り札」だと思っている人にとってはそうである。だが、切り札を切った時点でその価値はなくなる。いや、価値が確定するというべきか。


こちらに切り札があるかもと相手が思うとき、その切り札には価値がある。
こちらの切り札を今にも使いそうだと相手が思うとき、そんなときにこそ、その切り札にはもっとも価値がある。「持っていそうで、今にも使いそうだ」というときにこそ価値が最大化するわけである。


切り札を切って得られる結果がある(と思って切り札を切る)。だが、相手がこちらの切り札を把握している場合は、状況は変化する。相手は切り札を無効化するような切り札を持とうとするだろう。
だから、

『切り札をもっていることは伝わるが、どんな切り札かは伝わっていない』

という状況が望ましい状況になるわけである。部分的には知っていて欲しいが、全部は伝わって欲しくない…。とかく人は欲張りである。


 切り札をきったら、基本は「勝負あり」にしたいわけである。ところが相手が対抗策を取ろうとするので、それに勝る切り札をもとうとする。だから人は「出来るだけ多くの切り札を持ちたい…」、と思う。だが、そもそも

「持つ」ことはコストでもある。

たくさん持てば、それだけ維持管理コストは当然上がる。ムダが増えるわけだ。

自分の持った切り札で自分がつぶれるような状況は滑稽だが、そんな例は少なくはない…。
持っていると思っている切り札で、単なる「コスト増」を招いていないか?
逆に意外な「切り札」を自分が持っていないか?


 動けない時期だからこそ、棚卸するにはちょうどいい時期なのかも知れない。




今日はここまで。文責 江口
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posted by 江口 匡成 at 07:19| Comment(1) | ムリ・ムダ・ムラ